クローン病

 今まではっきりと書いていなかったので書いておきます。
英語で言うとCrohn's disease。略してCD。直訳するとクローン氏の病気。
クローン先生という医者が発見した病気なのでこういう名前が付いているのであって、クローン人間とは何の関係もありません。この病気は難病に指定されていますが、命に関わることはありませんし五体満足で普通に生活できますので“クローン病”で検索して来られた方はご安心ください。
しかし、どんな病気にも個人差があります。私がこれから書くことは、一例だと思って見てください。


【病態】

 男性に多く見られる病気で、10代後半〜20代前半に好発します。こういう書き方をすると、30歳になったら治るのか?と勘違いされることがあるのですが、一応、現段階では一度発症すると一生治らない病気です。 
主に小腸・大腸に炎症が起き、肉芽腫を作り瘢痕を残します。この瘢痕は後に腸閉塞の原因となります。
病巣は口腔、十二指腸、肛門に及ぶこともあり、消化管全域に炎症が起こる可能性があります。


 では簡単に説明していきます。まず消化管の説明。
口→食道→胃→十二指腸→小腸→大腸→肛門
これが消化管の作りです。口から入ってきた食べ物は食道を通り、胃・十二指腸で消化され、小腸で栄養を吸収される。吸収されなかった食べ物のカスは大腸で便として固められ(大腸は主に水分を吸収)、肛門から排泄されます。
CDでは小腸・大腸に炎症が好発します。
そのため栄養・水分吸収などに障害が生じ、下痢を起こしたり痩せた人間になってしまうわけです。


そもそも炎症とは何か。
発赤、腫脹、発熱、疼痛、機能障害の5つが炎症の主な徴候で、生体が何らかの有害な刺激を受けた時に起こる防御反応です。炎症には様々な種類があるんですが、CDでは肉芽腫性炎症という特殊な炎症が起こります。
肉芽腫性炎症とは、様々な理由で体外に排出できない異物を組織内に閉じ込め隔離する生体内防御反応。この炎症は特定の組織像を示し、特定の疾患でのみ見られるため、特異性炎症とも言われています。例えば結核や梅毒、深部真菌症などの感染症や、金属などの異物に反応して起こるものなど。このように異物や不要な物が原因となって起こる炎症が肉芽腫性炎症です。
しかし、なぜかCDでも見られます。原因は不明です。
その原因について私なりに追求してみました。


 肉芽腫性炎症では肉芽組織の造成が特徴的です。では“肉芽組織”とは何か。
肉芽組織とは、損傷した組織を埋めてくれる組織のことです。
誰でも体のどこかに“傷あと”を一つぐらい持っていると思いますが、この傷あとのことを“瘢痕”と言います。
その傷ができた時のことを思い出してみてください。おそらくそれは深い傷だと思います。
皮膚に深い傷を負った時、炎症→肉芽組織→瘢痕という経過をとります。また、この瘢痕が盛り上がって広がっていく場合をケロイドと言います。詳しくはこちらをご覧ください。
CDでは、小腸・大腸に、“縦走潰瘍”という独特な潰瘍ができます。
おそらくこれは、慢性化した炎症により組織が損傷されていったもの。肉眼的に見ると、ナイフで切りつけたような深い傷です。その損傷を埋めるために肉芽組織が造成されていく。のかな?


実際には、創傷治癒による肉芽組織形成とCDによる肉芽組織形成のメカニズムは違うみたいです。そして異物による肉芽組織形成はもっと別の話かもしれない。全身に肉芽腫性炎症が起こる“サルコイドーシス”という疾患がありますが、こちらも原因は不明。
調べれば調べるほど、肉芽組織って訳が分かりません。


 次に通過障害について。
通過障害とは、消化管に狭窄ができてしまい、食べた物が通りにくくなる状態です。
腸管に炎症が生じると吸収障害が起きるので、下痢・体重減少が起きます。この炎症がさらに進むと通過障害が起きる。なぜか?
一つは炎症性の浮腫によるもの。
炎症が起きると、血管拡張・充血・血管透過性の亢進などにより、炎症局所に腫脹が生じる。この腫脹が進むと浮腫を起こします。簡単に言ってしまうと、腸管の内腔がボコボコに腫れ上がってしまい、内腔が狭くなるために通過障害が起こるということです。
二つ目は肉芽腫による瘢根形成によるもの。
瘢根とは前途の通り、肉芽組織のなれの果てです。いわゆる傷跡。体表面に傷跡を持っている人なら分かるかと思いますが、傷跡の周囲の皮膚は傷口側に引きつっています。これが腸管の中で起こると想像してみてください。傷口に周りの粘膜が引き寄せられて腸管内空が狭くなる。体にできた傷跡が消えないのと同様に、瘢根による腸管狭窄は不可逆的です。
三つ目は癒着によるもの。
炎症がひどい時や、外科的手術後に腸管がくっついてしまう事です。これもなんとなく想像は出来るんですけど、原理は難しそうです。


そしてこの通過障害は、最終的に腸閉塞を引き起こします。
厳密には通過障害がある時点でもう“腸閉塞”って言うみたいですけどね。


 主に好発部位である小腸・大腸の病態について触れましたが、ここに書き切れないほど奥が深いですし、不明な点も多いです。また、口腔では口内炎、肛門では痔瘻、皮膚では結節性紅斑など、他の部位での合併症もいろいろ。


【症状】

 代表的な症状としては、腹痛、発熱、下痢といったところです。これは胃腸風邪か食中毒と間違ってしまうような症状。しかも初期の場合、風邪薬を飲んで安静にしていれば症状は治まる。だから最初は本当に、胃腸風邪になりやすい体質なのかCDなのか分かりません。お医者様でもこれを見極めるのは困難だと思います。


 では一例として、私がCDと診断されるまでの経緯を書きます。あくまでも一例ですよ。
まず小学生の頃、とりあえず色が白くて体が細かったです。お腹はよく壊していましたが特に気にならず。
でも病院には何度も風邪でお世話になっていたみたいで、母親いわく、医者には『お腹が弱いんだねー。』と言われていた様子。
そして中学生、一度だけとんでもない腹痛を伴う胃腸風邪をひきました。それぐらいです。
次は高校2年生の春、肛門の近くに何かできものが出現しました。そのできものからは血が滲み出てきて止まらない。病院に行って診察を受けると、痔瘻と診断されました。痔瘻とは?
血が止まらない状態が一時的に続いたので、ボクサーパンツと女性用生理用品を買わされたのはいい思い出です。
痔瘻は発症する正確な原因は不明で手術をしないと治らない。と医者に言われたので手術することになりました。手術後、痔瘻は完治しました。しかし相変わらず お腹は下しがちのまま。
2005年の1月(高校3年の冬)、中学生の頃と同じ、とんでもない腹痛を伴う胃腸風邪に。風邪薬を飲んで治しました。
2005年2月、再びとんでもない腹痛を伴う胃腸風邪。大学入試の旅先で これまでにないほど嘔吐したのですが、旅先の病院の医者も私も ただの胃腸風邪だと信じていました。
2005年3月、卒業式の日だったかな。再びとんでもない腹痛を伴う胃腸風邪。風邪薬で熱は下がったものの、とんでもない腹痛は消えず。
ご飯を食べるとこの腹痛は更に痛くなったので、あまり食事は摂らないようにしていました。
2005年4月、大学の入学式の日まで、とんでもない腹痛は続きました。しかし学校が始まると同時に腹痛は消えました。これはおそらく、それまでの絶食により腸が安静に保たれたおかげだと思われます。
しかしその絶食のおかげで、大学の健康診断では体重が高校時代から5kg減の40kg。
これがショックだったのか、個人的な成長期に入ったのか分かりませんが、この時期は食欲旺盛で人生で一番ご飯を頬張っていた気がします。
2005年5月、体重は45kgと元通り。
6月・7月・8月、腹痛と発熱に月に一度襲われました。しかし絶食によって腹痛が消えるという手段を覚えた私は病院には行かず、何となくこの腹痛をコントロールしていました。
2005年9月、とんでもない腹痛と39度の高熱に。絶食しても治らないので、休みの日に病院の救急に行きました。診断は胃腸風邪で、風邪薬をもらいました。風邪薬で治らなかったら感染症の恐れもあるからまた来いと言われました。
で、風邪薬でなんとか治まりました。
2005年10月、同様の腹痛と高熱。お金がもったいなかったので、大学病院の健康管理センター*1に行きました。
診断は風邪。
この後、何度か風邪薬を貰いに健康管理センターへ行きました。風邪薬で熱は下がるんですが、腹痛は消えずにむしろ更にひどくなっていきました。
2005年11月、腹痛がひどくて普通に立っていられない状態。椅子に座るのもキツかったです。学校の講義も椅子を二つ使って寝てました。
2005年12月、学校に行くのが困難でした。講義の出席は友人に代筆してもらっていた。
年末に実家に帰ったら、親に心配されました。顔はやせ細って体重は39kgだったので。自分でも明らかに何かおかしいとは思っていたので、後期試験が終わったら大学病院でもう一度診てもらうことに決めた。
2006年1月、後期試験中でしたが、腹痛が身の危険を感じる程のレベルに達したので とりあえず風邪薬を貰いに健康管理センターへ。
その時の医者の言葉。
『えっ!何その顔!?分かんないけど絶対どこかおかしいよ!!紹介状書いてあげるから診てもらってきて。』
さんざん風邪と診断しておいて最後はこの扱い…。
で、後日 紹介先の大学病院消化器内科の若い女医さんに診察を受けた所、CDの疑いがあるから専門医に更に紹介してくださるとのことでした。問診と軽い検査だけでCDを推定できたこのお姉さんは、今思えばすごいと思います。最初からこの人の所へ行けばよかったと今は後悔しているほど。
そして後期試験がすべて終わった次の日、限界状態で紹介先へ。この時は極度の貧血で栄養状態も最悪、体重は37kgで即入院でした。
それから精密検査でCDが確定しました。


あー、やっぱり長くなった。ほとんどが2005年のお話でしたねー。
それでは、ここまでを簡単に解説してみます。


 まず、中学生の頃を始めに何度も出てくる “とんでもない腹痛”。これは刺し込むような長時間持続する鋭い痛みで、ゴロゴロっと音が鳴ると同時に痛みが消えるというものです。
今現在はこれほどの腹痛が起こることはありませんが、似たような腹痛は時々起こります。ただその腹痛はゴロゴロっという音を立てずに治まる。
前者は明らかに腸閉塞(通過障害)によるもの。後者はどうか分かりません。いずれにせよCDの腹痛の特徴として言えるのは、
 ・鋭い痛み。
 ・それはしばらく持続する。
 ・体位を変えたり、蹲ったりしていると治まる。
 ・時に立っていること、座っていることが辛い。


私の場合 腹痛が起こると、椅子に座っている時はお腹を押さえて丸くなり、ベッドがあれば寝転がって、くの字になる。どうしようもない時はその場に座り込みます。そして楽になるのをひたすら待つ。だいたい3分〜10分。
この腹痛は突然やってくるので、道端で座り込んで丸くなることもあれば、教室で椅子を使って寝転んだりすることもある。世の中には優しい人が意外と多いもんで、道端で座り込んでいると、「大丈夫ですか?」と話しかけてくる人がたくさんいる。そうなるとこちらは、「大丈夫です。」と答え立ち上がる。そして別の人気のない場所へ移動し また座り込む。これの繰り返し。
『すぐに大丈夫になるから、しばらく放っておいてください。』
CD患者の本音。


 現在の私の腹痛は日常生活に特に支障を来さない程度のものですが、2006年1月のはそうでもなかったです。
あの時は痛みでじっとしていられずに部屋中を蛇のように のた打ち回った。冗談抜きで死ぬという恐怖しかありませんでした。こうなったら、たぶん救急車を呼ぶのが正解です。当時の私は自宅のカギを開けて寝ていました。死ぬかもしれないと思ったので。できるだけ早く死体を見つけて欲しいという思いからの行動でした(笑)
通過障害は、炎症によるものと瘢根によるものに分けられるのですが、炎症によるものは可逆的で、瘢根によるものは不可逆的です。おそらく2005年の10月には既に不可逆的な腸管狭窄による腸閉塞だったと思います。本来ならこの時点で治療を開始するべきなのですが、私は我慢していました。

たぶん理由は、何度病院に行っても風邪と診断されたことで、自分は胃腸風邪も我慢できない人間なのか?とか思い始めていたから。ちょうど大学の講義で、腸閉塞は大人でも我慢できない腹痛だと教わっていたんですが、まさか自分が腸閉塞だとは思ってもみなかった。だから我慢できたんだとも思います。


 個人的には通過障害こそがCD最大の症状であって最終警告みたいなものだと思います。
なので、これって通過障害かな?と思ったら大学病院の消化器内科とかに行ってみてください。いろいろ ぼったくられますけど、ケチってると私みたいになってしまいます。我慢しないことも大事です。研修医や町医者では胃腸風邪と鑑別できないと思う。

そして書き忘れかけましたが、痔瘻はCD患者の50%以上が合併する疾患です。だからこれも一つの警告ではあったみたいです。分かりませんけどね。



【治療】

 CDに治療法はありません。放っておくと最終的には腸管の癒着や狭窄により腸閉塞などが起きます。外科的処置により症状は改善する。しかしCD患者に外科的手術を行うと、5年以内に30%、10年以内に60%の確率で再度手術が必要になります。術後の腸管の繋ぎ目に潰瘍ができやすいからだそうです。
このように病変が悪化する度に手術を繰り返すと、やがて短腸症候群で食事からの栄養摂取が出来なくなり点滴生活をすることになります。死ぬことはないです。
基本的には薬物療法と栄養療法で緩解維持。限界が来たら外科的手術。これの無限ループ。
緩解期(症状の落ち着いた状態)を出来るだけ維持させることを目的として施されるのが、現代のCDの治療です。



【愚痴】

 CD患者としての愚痴を書き殴っていきます。不定期に追記・訂正します。


 この病気は先進国に多く、発展途上国には少ないです。要するに贅沢病。食べるから発症する、まともな食料が得られない環境下では発症しないと思います。私の勝手な考えですが。
CDの原因が何にせよ、食べなければ症状は悪化しない。なので私は敢えて食事を抑えて栄養剤でカロリーを採っています。でもこの歳で食欲を抑えるのは難しいし、食べなければいけない場面も社会に出れば多いと思う。


 どうして食べないの?っていう質問は飽きるほど聞きました。気を使われることにも疲れた。
この病気はたいした病気ではないです。努力しだいでなんとでもなる。でもその努力はそこらの健常者には理解できない。身近な人間の何気ない一言に腹が立つことはしばしば。


 腸の炎症が激しい時期など症状が悪化した時を、緩解期とは対に急性期と言います。入院適応となるのは、大体が急性期の時。
で、入院した場合どんな治療を受けるかというと、絶食です。点滴(酷い時はIVH)を受けながらひたすら絶食。
入院=絶食させるための拘束。みたいなもん。
急性期でも1日絶食すればすぐ元気になる。食欲は沸くし、体調もよくなります。そこで食べてしまうからまた再燃してしまう。
従って直ぐには退院させてもらえない。
理屈は分かるけど入院ほど無駄なものはないと私は思う。


絶食しつつ、自宅で自ら栄養が採れるなら、急性期でも入院は必要ない。
それが可能になる方法の1つとして在宅経管経腸栄養というものがあります。鼻から十二指腸までチューブを挿入し、小腸が直接吸収できるまでに消化された栄養材を約七時間(睡眠時を利用)かけてゆっくり流し込むというもの。食事に比べると腸管にかかる負担を大幅に軽減できます。


通常、経管栄養は急性期から緩解期に移行する時に行うものです。緩解期には別にやらなくてもいい。しかし緩解期にも続けていれば急性期に移行する確率をかなり抑えられる事が統計的に言われている。入院もせずに済む。
だから私は経管栄養を続けている。
体調が悪いからやっているわけではない。
好きでやっているわけでもない。
未だに熟睡はできない。



『病気になって気がついたことはありますか?』
この記事を書いた1週間前の就職面接で聞かれました。用意していなかったけど即答で答えた。
普通でいることの幸せ、日常生活を難なく過ごせる幸せ、などなどと。
これは重い病気なったら誰でも感じると思う。

治らない病気と聞いた時、私は相当落ち込んだ。でも普通に日常生活を送れている。この時点で私は十分恵まれている。こんな普通の事が出来なくなってしまう病気は他に山ほどある。悲観的になってはいられない。全然頑張れる。


というのは建前。
自分は病気だから出来なくてもいい。人生観が変わった。
もういろいろと昔とは感覚が違う。大袈裟に言えば一回死んだようなもん。


っていう風に病気を言い訳に出来る点では病気になってよかった。元々私には行動力がない。頑張らなくても頑張ってるって言われる。


分かってるんですけどねー、難しいです。

*1:学生は無料で診察を受けられる所