日記

 先週9日の深夜、祖母が亡くなりました。11日がお通夜で12日が告別式。83歳でした。



 祖母と最後に話したのは今年の正月。何をしゃべったかは覚えていない。
家族や親戚曰く、孫の中では私が一番祖母にかわいがられていました。自分でもそれは分かる。
痴呆が始まって叔母や姉の名前を間違えることはあっても私の名前だけは間違えなかった。


いつからか祖母が家族から邪魔者扱いされるようになった。本気ではないだろうけどみんなが祖母に対して冷たくあしらう事もあった。でも私はそれが嫌で、常に普通に接するようにしていた。たぶん、かわいがってもらっていたからだと思う。
あと、”人間いつ死ぬか分からない”っていう考えが自分の中で昔は強くて、いつ身の回りの人が死んでも後悔しないような接し方をしておこうと思って行動していました。それが特に祖母に対して働いていた気がする。些細なことを手伝ったり、休みの日に話を聞いてあげる程度で大したことはしてなかったけど。


私が生まれた時から祖母とは同じ家に住んでいて毎日顔を合わせていた。高校を卒業して上京してからは、大学1年生の夏休みと正月ぐらいしか実家に帰っていない。就職してからも年に10日ぐらい。
高校を卒業してから今現在までで、実家に帰った日数は100日にも満たないです。つまり100回前に祖母に会ったときは7年前。普通に歩行できて晩御飯も作ってくれていた。50回前に会った時には車椅子だった。30回前になると入浴・排泄が一人でできなくなっていた。そして私が病気であることを忘れていた。5回前に会ったときは病院で人工呼吸器を付けていて意識不明だった。


この7年間、私は実家とはほぼ無縁でした。地元での人間関係もほぼ残っていない。
では離れた場所でそれなりに新しい人間関係を築けていたかと言うとそうでもない。後悔はないけどなんか虚しい。
母は必死で祖母の介護をし、姉もそれをバックアップしてくれていた。私は週末に実家に帰ることもしなかった。なんか昔と立場が逆。
それでも祖母は私の名前を呼んで心配してくれていたらしい。


自分の中で祖母との時間は全然進んでいないというか、自分自身、精神的に高校生のまま。でも実際は7年も時間が過ぎている。今は全然普通なんですけど、祖母のいない実家に帰るとじわじわと悲しさが溢れてくるような気がします。


お経や墓参りも供養の一つですが、日常を精一杯楽しんで生きることが一番の供養になるそうです。昨日寺の住職に言われました。
頑張りますわ。